まるよしよもやま話(沖縄・伊良部島)

2002年4月に発売され宮古島で大ベストセラーになった「読めば宮古」。 そんな話が伊良部にもたくさんあります。 伊良部島の民宿まるよしで夜な夜な語られる伊良部の話「まるよしよもやま話」のページです。

カテゴリ: んきゃーん(昔の)伊良部

2002年4月に発売され宮古島で大ベストセラーになった「読めば宮古」。そんな話が伊良部にもたくさんあります。まるよしで夜な夜な語られる伊良部の話を紹介していきます。

【んきゃーん(昔の)伊良部】
<空き瓶回収>
オリオンビール (569x1024)今はドリンクと言えば、ペットボトルか缶入りですが、昔はほとんどが瓶入りでした。
ビールも当然瓶入りです。
当時はガラスも貴重で空き瓶は回収されて、再利用されます。
あるメーカーの瓶に他社のビールのラベルが貼ってある瓶が普通だったと記憶していますが、思い違いでしょうか。
ビールの瓶を店に持っていくと1本に付き20円もらえました。
当然コーラも瓶入りで、1リットル瓶の空き瓶を店に持って行くと20円、蓋付は30円でした。
空き瓶を持っていくと瓶代をもらえ、その瓶は店の裏に積まれます。
伊良部のぼうちらは自分で持ってきた瓶が商店の裏に積まれると、こっそり運び出しては他の商店に持っていって小銭を貰っていたそうです。
そんな事が繰り返し出来たのは、その当時は集落にたくさん商店が有った事もあるようですが、店のおじぃおばぁも子供のする事を多めにみていたのかもしれません。
今の時代も当時でも犯罪ですが、子供なりに頭を使って小遣い稼ぎをしていたようです。
使い捨て全盛の今では、そのような小遣い稼ぎは出来ませんが、物を大事にする当時だからこその悪さでした。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<民間療法>
「読めば宮古」にも書かれていましたが、昔は湿疹などで肌が痒くなると、島ぞうりを炙って痒い所を叩いたそうです。
伊良部島でも同じことがあって、島サバを炙ってパンパンと軽く叩いてもらうと、不思議に痒みがおさまったということです。
同じようなことは「二日酔いには三ツ矢サイダーが効く」とか、「片栗粉も二日酔いに良い」とか、「傷をした時は、畑の土を塗ればよい」とか、「石油を塗って消毒した」とか、「お腹が痛い時はタバコを吸わせると良い」など数限りなくあります。
「風邪をひいて喉が痛いときは、アロエの葉肉を食べると一発で治る」と言っている人もいますが、伊良部島ではアロエの事を「医者いらず」と呼ぶので、これは何となく効きそうです。
医学的根拠は定かでない民間療法と言える場合もありますが、物の無い時代、手に入る物で色々と工夫をしていたことは間違いありません。
いずれにしろ、これで治るんだ思う精神的な力は今でも大切かもしれません。
島ぞうり (1024x691)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<食糧難>
ちまたでは何かにつけて東京オリンピックの話題がのぼりますが、前回の東京オリンピックは昭和39年(1964年)の開催でした。
当時はオリンピックに向けて巨費を投じて様々な物が整備されて、豊かな時代の幕開けのように言われています。
同じ頃、沖縄ではまだ貧しくて、物資の少なく食糧難の時代でした。
伊良部では芋の葉やカタツムリを食べていた家もありました。
昭和40年代の半ば頃になると小学校でも給食がでるようになりましが、出るのはパンだけでおかずは自前です。
貧しい家庭では10セントのジャムだけという事もあったそうです。
今でこそグルメの時代で食べ物が豊富ですが、その時代を知っている人は食べ物を大事にします。
食べきれなかった食事は捨てずに、次のご飯のおかずになります。
まるよしでも、ついたくさん頼んでしまったおかずはお持ち帰りできるようになっていて、地元の人は必ずパックで持ち帰ります。
さすがに生ものは無理ですが、観光で訪れた方も食べきれない時は、遠慮せずに夜食にお持ち帰りください。
トンカツチャーハン (1024x625)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<宮古空港>
宮古空港には現在、一日約15便が那覇・宮古間に就航しています。
現在のターミナルビルは1997年7月に出来たもので、離島のターミナルビルとしては石垣空港より先に更新されました。
現在のターミナルビルは滑走路の東側にありますが、以前のターミナルビルは滑走路の西の平良港側にありました。
そのため空港から平良市街地に行くのには今よりもずっと近い距離でした。
当時タクシーは初乗りが300円台だったこともあって、タクシーで空港から平良市街地に行っても1,000円でお釣りがきたものです。
伊良部島に渡る平良港の桟橋は、現在「まてぃだ通り」と呼ばれている市役所のある通りを下った突き当たりにありました。
今の港よりも近い場所にありましたが、伊良部大橋が架かるずっと前なので、空港から伊良部島へ行くのも半日がかりでした。
宮古空港に着いても、今のように「何時に帰れるよ」とはいきません。
何時の船に乗れるか解らない事もあり、お昼頃とか夕方頃と言ったアバウトな表現しか出来ませんでした。
その頃は、そんな風に時間が読めない事もあってか、今よりも更に時間にアバウトだった事は確実です。
旧宮古空港 (1024x462)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<バブル>
伊良部大橋が架かるずっと前、一人の男が伊良部町の役場を訪れました。
男の姿は肉体労働者風で、決して裕福な人の格好では有りませんでした。
男の相談内容は伊良部島のリゾート開発の件でした。
役場の人は一通り話を聞いたそうですが、門前払いのような形で体よくお帰り願ったようです。
その後、その男は宮古島の上野村の役場に姿を現します。
上野村では男を丁重に応対し、話を真剣に聞いたそうです。
その結果、上野村には大手資本の一大リゾート地が開発され、いまでもその規模は成長し続けています。
そのような話がまことしやかに伝わっていますが、本当の所は誰にも解りません。
仮にその話が本当で、伊良部島でもし話を受けいれていたら、どうなっていたでしょう。
時計の針は元には戻せませんが、今の伊良部島の姿とは全く違っていたものになっていたことは、誰にでも想像できます。
いま伊良部島はバブルと言われていますが、バブルが20年以上前に起こっていたかもしれません。
人生と同じで、未来の道への分岐点はどこにあるかわかりません。
結果がどちらに転んだ方が良かったかは解りませんが、いずれにしろ人は外見で判断してはいけないということでしょうか。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<不倫の森>
1972年沖縄が本土に復帰しました。
サシバはこの年に保護鳥となり、捕獲が禁止されました。
サシバの捕獲が禁止されると、抜け道を求める人が続々と出現します。
佐和田の深底地区の竹中と呼ばれていた場所では、サシバを捕ったり、魚釣りの竿に利用される長い竹が生えていたそうです。
当時この辺りは、不倫の森と呼ばれていて秘密のデートの場所だったと同時にサシバ捕りの場所でもありました。
サシバ捕りにはアベックで森に車を乗り入れます。
当局の監視の目を逃れて、ツギャという囮小屋で待ち伏せしたり、木に登って長い竹竿でサシバを捕まえます。
サシバ捕りに使った竹は森に隠され、捕ったサシバはスペアタイヤが入るスペースに入れられます。
監視員もそこまでのチェックはしなかったそうですし、不倫を装ったカップルへの監視は自然と緩みます。
時は流れて、元祖不倫の森付近は灌漑用のため池になって、周辺には竹も見当たらずネムノキが生い茂っています。
森に入れなくなると密会の場所は牧山に移って、牧山付近の森が不倫の森と呼ばれるようになります。
今でも夜に牧山辺りに行くと、ヤマインと呼ばれます。
深底地区 (1024x691)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<運転免許再発行>
昔の伊良部島では学校を卒業すると、内地へ働きにいく人がたくさんいました。
中学や高校を卒業すると、既に働きに行っている先輩の紹介などで伊良部の人は都会に出ていきます。
仕事は地元でも皆やっていたスラブ打ちの影響か、土間屋と言われる左官業に就くことが多いようです。
働きに出る先は大阪圏内、名古屋圏、横浜、千葉を中心とした関東圏内とあちこちです。
慣れない都会生活で緊張する場合が多いせいか、同じ島の出身者と酒を飲んでストレスを発散する機会が増えます。
酔って免許証を財布ごと落としたり、電車で眠ってしまいスリの被害に遭うこともありました。
仕事には自動車利用なので、運転免許証は必須です。
離島の離島の伊良部島に本籍があるので、再発行に必要な書類を取り寄せるのも大変です。
手続きに慣れないことや、当時はネット全盛の今と違って郵便でのやり取りになるため、再発行にはかなりの時間がかかったそうです。
今は伊良部島に戻っているまるよしの常連さんは、内地にいる時に何回か再発行の手続きをして、再発行のベテランになったそうです。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<カルチャーショック>
1970年代に下地島空港の工事が始まると、伊良部島もある種のカルチャーショックに襲われます。
内地の大手の建設業者の宿泊設備が設置され、大型ダンプや色々な運搬建設機械が搬入されました。
1771年の明和の大津波で打ち上げられた津波石(コーラル)は最新鋭の重機で圧迫されて砕かれ、ベルトコンベアーで運ばれます。
運ばれた石は最新の10tトラックで運ばれて、埋め立てられて行きます。いづれも当時の島の人にとっては、生まれて初めて見る光景でした。
佐和田付近には、尖ったサンゴ岩などでパンクした巨大なタイヤを修理する場所が設置されました。
巨大な重機が動く姿や大きいタイヤが修理される事自体が物珍しくて、子どもたちに取っては最高の見世物になります。
学校が終わると子ども達は工事現場に駆けつけて、眼を輝かせて工事の進捗を見つめます。
時代は巡って、下地島空港は来年3月のLCCの就航に伴い、ターミナルビルの工事などが急ピッチで進めらていますが、また何かカルチャーショックが起きるのでしょうか。
20181111下地島空港 (1024x692)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<一周道路>
島と言えば海沿いに一周道路をドライブするのが定番です。
特に観光スポットが無くても、一周道路を風を感じながら走ると、なんとも言えない心地よさを感じます。
沖縄の離島でも多くの島に一周道路が整備されています。
宮古諸島でも宮古島、池間島、伊良部島、下地島、多良間島などに一周道路があります。
どの島も道路は綺麗に整備されて、ちゃんと歩道も有ります。
また高い山が無いので、ドライブ以外にもサイクリングにも最適です。
因みに大神島でも一周道路を造る計画が有りましたが、工事の最中に不思議な出来事が有って結局中止になりました。
伊良部島の一周道路ではフナウサギバナタから白鳥崎へ向かう西海岸の道や、佐良浜池間添の園地からヤマトブー大岩へ向かう道が絶景ポイントになっています。
下地島の一周道路は奇岩を望む佐和田の浜付近、17エンドを通る空港の管理道路、中の島海岸を過ぎて渡口に向かう海へ落ちるような道や2キロ以上の直線が続くシュガーロードなど見所がたくさん有ります。
シュガーロードができる前はもっと外側の道が一周道路でしたが、今は旧道になっています。
通り池近辺の道も今のレーダー基地沿いの道が一周道路だったそうです。
伊良部大橋が出来るずっと前に、伊良部島のタクシー会社が作成したマップにはシュガーロードなどはまだ掲載されていませんでした。
興味のある方は旧道を走ってみるのも、新しい景色との出会いが有って楽しいかも知れません。
20181103新生タクシー地図 (1024x744)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<飲み屋街>
宮古島では西里の一大飲み屋街、通称イーザトが有名ですが、伊良部島にも飲み屋街があります。
正確には「ありました」と言うのが正しくなってしまいました。
国仲橋を渡ってガソリンスタンドの裏に建つ雑居ビルを思わせる飲み屋街。
昼間は全く目立たず、夜もあまり目立ちませんでしたが、夜の帳が降りると一組、二組と集まって来ます。
お客さんが居ると朝まで営業し、精糖期には24時間稼働する精糖工場に合わせて24時間営業する店もあったとか。
地元のママさんの他にも、内地から来ているアルバイトのお姉さんも接客をします。
伊良部大橋が架かる前は、伊良部島、特に南区の男性たちが最後に行き着く夜の終着点で、居酒屋等で勢いを付けた人々が続々と集まって来たものでした。
まるよしで地元のお兄さんと意気投合した内地のお客さんもオトーリで痛い目にあったようです。
橋が架かると伊良部島の男たちは、手軽に行けるようになったイーザトを目指します。
橋が出来てお客さんが減ったのか、下地島空港の復活をビジネスチャンスと狙った内地の資本に目を付けられたのか、飲み屋街に最後まで残っていた店も閉まって、解体工事中です。
跡地には下地島空港の再開に合わせて、レンタカー屋が開業するとの噂です。
かつては伊良部島の夜の社交場で、親しみを込めてお化け屋敷などと呼んだ人もいた飲み屋街も無くなってみると寂しさを覚えます。
20181026飲み屋街地図 (742x501)

20181026飲み屋街 (1024x690)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<昔の道>
下地島空港がある場所は1972年に空港の建設工事が始まるまではサトウキビ畑と海でした。
その頃は、まるよしのある国仲の集落からは昔の国仲橋を渡って通り池や現在、中の島と言われているカヤッファまで行ける道があったそうです。
一面のキビ畑の中は網の目のように農道が走っていて、国仲以外にも南区の伊良部、仲地、長浜、佐和田の各集落からそれぞれの集落にかかる橋を渡って、通り池や中の島海岸など下地島の西海岸に出る道が有りました。
当時は車もほとんど無く、馬車も少なかったので、ほとんどの場合は歩いて行ったそうです。
国仲の子供たちはその道を通って海遊びや潮干狩りに、大人たちは畑仕事やサシバ捕りに行きます。
飲み水の話では、佐良浜のサバウツガーの水を汲みに階段を往復した過酷な歴史が有名ですが、南区でも水不足の時は、はるばる通り池まで飲み水を求めて歩いて行ったそうです。
通り池に水が少ないときは、中の島海岸と隣のアッタバサマの間の洞窟に滴る水にまで足を延ばします。
当時、使われていた道は空港用地になった土地を除けば今も残っています。
興味の有るかたは、昔に想いを馳せて、サトウキビ畑の道を探索してみてください。
昔の道 (1024x691)


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<ラブホ3連泊>
今年は台風の発生が多く、天気予報を見ると毎日のように台風情報が流れています。
宮古島も最大瞬間風速70mが予想された台風8号が直撃しましたが、伊良部大橋の通行止めは約1日で済みました。
伊良部大橋が架かる前は台風が来ると、伊良部島と宮古島を結ぶ定期船の欠航は当たり前の事でした。
そのもっと昔は船も小型で、海が荒れると定期船はすぐに欠航しました。
台風に当たると欠航は何日も続きます。
伊良部島から宮古島に出かけても、帰れなくなることが日常的でした。
宮古島に泊まるとなると宿泊代も馬鹿になりません。
安い宿は直ぐに一杯になります。
当時、宮古島に働きに行っていたSお姉さんは船が欠航すると料金の安いラブホに泊まります。
「エッチするなら車の中で十分」と普段はラブホに行きませんが、台風の時に3連泊したことがあるそうです。
ホテルの受付の人もビックリしたとかで、ラブホ3連泊と語り継がれています。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<車事情>
昔、伊良部島では車と言えば軽トラックや軽のワンボックスカーが主流で実用的な車ばかりでした。
その時代、伊良部島で走っていた乗用車もグレーや白、黒といった地味な色が多く、派手な色の乗用車や高級車は乗っていた人はごく一部でした。
当時、カラフルな目立つ車と言えば「わ」ナンバーのレンタカーばかりです。
フェリーに乗るときはナンバーを見なくてもすぐに見分けがついたものです。
因みに当時はまだ「れ」ナンバーは有りませんでした。
そんな訳で、島の運転に慣れないレンタカーを見分けるのに苦労は無かったのですが、いつの頃からか島の人もカラフルな乗用車を乗り回すようになりました。
橋が架かってからは、色も形も様々な車を見かけるようになって、平均時速も大分速くなったような気がします。
慎重な島の人はこちらが優先の十字路でも一時停止したり、スピードを落とします。
最近伊良部島でも交通事故が急増しているようです。
時代が変わって運転事情も変化したようですが、島の大きさは同じです。
そんなに急いでもたいして変わりませんよ。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<サザエ>
旧暦の3月3日はサニツです。
女性たちが一日浜に出て春の到来を祝い、身体を潮で清める意味で潮干狩をする日です。
宮古島では八重干瀬が姿を現す日として知られています。
サニツに代表されるように大潮の干潮時の潮干狩りは島の人には大きな楽しみのひとつでした。
引き潮の時間に合わせてサザエやシャコガイ、タコなどの獲物を狙って海に出かけます。
40年から50年ほど前は海も手付かずで、サンゴや岩の隙間の穴という穴にはサザエがゴロゴロいました。
海に入らなくても大潮の干潮時には海岸を見渡しただけでサザエがまるで採ってくださいとばかりに見えたそうです。
家族や友達と出かけて、競争してサザエを採ります。
採るといっても自家消費分だけで根こそぎ採って商売にするわけではありません。
最近はアーサーを採っても新聞沙汰になる時代ですが、昔は色々とうるさく言わないのんびりとした時代でした。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<運転免許>
来間島では来間大橋が架かる前、無免許で軽トラを運転したり、車検を通してしない車が普通に走っていたとかいう話を聞いたことがあります。
離島の離島にはありがちな話ですが、伊良部島でも似たようなことがあったようです。
伊良部大橋が架かるずっとずっと前は一種の治外法権で、免許を持っていないのに運転したり、車検を通していない車やナンバープレートのない車が公道を走っているのは日常茶飯事でした。
佐良浜にあった自動車練習所に自分で運転して通ったり、宮古島で行われる本免の時に飲酒して行ったりと今では信じられない話がたくさんあります。
本免の際に眼鏡を忘れて行ったが大丈夫だったという話しもあります。
原付バイクの免許は実地のみだったそうで、警察官立会いのもとにカントリーパークを一周すればオーケーだったそうです。
今でもその時に免許を取ったと思われるおばぁが原付を運転している可能性もあるので、皆様安全運転で行きましょう。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<渡し舟>
2015年1月に伊良部大橋が開通して3年が経過して、自動車で伊良部島から平良に行くのは普通のことになりました。
橋が架かる前、フェリーや高速船は大体1時間に1便で、船待ちしていたのが懐かしく思われます。
スーパーライナーやはやて、うぷゆう、ゆがふ、ゆうむつなどの船名もだんだん忘れられて行きます。
更にずっと前には1日1便の時代もあったそうです。
当時はフェリーや高速船ではなく渡し舟の時代でした。
400人余りが乗れる木の船で渡口の桟橋から1時間かかって平良港に着きます。
平良に行くとカツ丼を食べたり、古謝そばで宮古そばを食べたり都会の文化に触れてきます。
現在ニュー丸勝のホテルがある裏には、丸勝デパートがあって屋上には遊園地がありました。
伊良部島から平良に行った子供は丸勝に行くのを楽しみにしていたそうです。
今はちょっと寂れた感の西里大通りですが、当時はそれは華やかだったそうです。
観光で来られた方もそんな思いで是非歩いてみてください。


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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<黒糖づくり>
製糖期に入って連日フル稼働の製糖工場ですが、昔工場が無かった頃、黒糖はそれぞれの家や何件かの近所で共同で作っていました。
収穫したサトウキビを作業場に運搬して搾ります。
サトウキビを搾るのは砂糖車(さとうぐるま)というサトウキビの圧搾装置です。
沖縄では「サーターグルマ」と言います。
牛や馬など家畜の力で心棒を回転させ、その力を歯車でローラーに伝えて回転させます。
ローラーの間にサトウキビの茎を差し込んで搾り出した汁を煮詰めて砂糖に加工しました。
伊良部では動力は馬です。
馬は目が回らないように目隠ししてぐるぐる歩きます。
搾られた汁は大鍋で煮詰められてから、容器に移されます。
作業の翌日に板にこぼれて固まった黒糖をはがして食べるのは、子供たちにとって至福のひと時だったそうです。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<屋号の数え歌>
伊良部島の各家には屋号がありますが、国仲集落の家々にもそれぞれ屋号があります。
国仲では屋号の数え歌もあります。
一番から十番まであって、こどもの時に歌って遊んだそうです。
まるよしの屋号はふみよしですが、数え歌の中にちゃんと入っています。
歌える人は少なくなったと聞いていますが、まるよしのスタッフで口ずさんでいる人がいるようです。
お願いすれば聞けるかもわかりません。
文化と言えば大袈裟ですが、数え歌に限らず昔から人づてに伝わる色々な伝統は時間が経つと共に知らず知らずのうちに忘れられていきます。
今の若い人は伊良部の方言は聞きとる事はできますが、自分で話せる人は少ないようです。
気がついた時にはすべて無くなっていたという前に引き継いで行きたいものです。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<犬の話>
昔、池間島では犬を食用にしていたと「読めば宮古」に書いてありますが、伊良部島でもそんなことが有ったようです。
スタッフのSさんのおとうは子犬をどこからか拾ってくると、毎日面倒を見て可愛がって育てます。
ところがある日突然犬は姿を消します。
そんな日はなぜかご馳走がテーブルに並ぶそうです。
食糧難のずっと昔の話のようですが、最近でもそんな噂を耳にします。
まるよしに通うHさんは地元の常連さんから「犬が手に入ったから食べるか?」と誘われて、ビビッて断ったそうです。
ホントに犬を食べるのか、からかわれたのか真実は定かでありませんが、犬肉は煮て、そばに乗せて食べるそうです。
煮ると骨が紫色になるので、豚肉との違いが解るとか。
そんな話を聞かされたHさんは、しばらくソーキそばの肉を必ずチェックしていたそうです。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<船チャーター>
橋が架かる前は定期船が無くなった後に産気づくと、船をチャーターして宮古島まで行かなくてはなりませんでした。
救急車は無料ですが、船は有料です。
当時小さい船でもチャーターするのに15,000円ほどかかったそうです。
子供を産むのも大変ですが、病院までたどり着くまでも一苦労です。
船の中で出産したため、船の名前を子供に名づけた人もいます。
そんな大変な環境で出産した事もあるのでしょうか、島の人は子供が大好きで大切に育てます。(2017.11.07)
うぷゆう (1024x691)
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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<台風事情>
伊良部大橋が架かる前は台風が近づいて海が荒れると、宮古島の平良港と伊良部島の佐良浜港を結ぶ定期船は欠航になりました。
台風が去って台風一過の晴天になっても、台風の吹き返しの風で海は波が高い状態が続いてフェリーなど海の足は引き続き欠航が続きます。
飛行機が飛んでも伊良部島から宮古空港まで行けません。飛行機を予約している人は台風や低気圧が近づくと、早めに伊良部島から宮古島に渡ったものでした。
伊良部大橋が架かってからは高波の影響は余り受けなくなりましたが、暴風警報が発令されると伊良部大橋は通行止めになります。
万が一そんな状況になったら、早めに行動するか、スパッとあきらめてまるよしにお泊りください。
台風の中の島 (1024x691)
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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<南西航空>
今では内地から宮古島に行くにはまず那覇空港に行って、JTAまたはANAで宮古空港に乗り継ぐのが一般的です。最近では内地の空港からも宮古空港へ直行便が一日に何便か運行しています。
ひとむかし前はJTAの前身である南西航空で那覇から宮古島に行くのが一般的で、沖縄と言えば南西航空と琉球エアコミューターでした。
当時の那覇の南西空港の乗り場は他の国内線とは違う場所にあって、かなりの距離を移動しなくてはなりませんでした。またターミナルビルも無く、飛行機まで歩いて行ってタラップで乗り降りしたものでした。
当然、宮古空港も現在のターミナルビルは無く、タラップの利用です。
飛行機を降りると空気がじかに肌で感じられ、南国に着いた事が実感されたものです。
伊良部島には更に港へ移動して船で渡らないと行くことができませんでした。
今はすべてが便利に、効率的にという風潮ですが、南西航空の時代が懐かしく感じられます。
JTAの飛行機はプロ野球チームのユニホームのように、復刻版の南西航空のデザインでペインティングされる事があります。
1984南西航空 (805x543) 2014南西航空 (1024x692)

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<タバコの話2>
東京オリンピックに向け飲食店での禁煙が話題になっているようですが、遠く離れた伊良部島でもそんな事になるのでしょうか。
第1子誕生の際に病院でタバコを吸わせてもらったSさんは、その後も喫煙習慣を変える気は無くぼちぼち吸っておりました。
第4子の出産の際は自宅で破水したので、まず一服してから病院に行ったそうです。恐るべし。
ちょっと昔の話です。

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2002年4月に発売され宮古島で大ベストセラーになった「読めば宮古」。そんな話が伊良部にもたくさんあります。まるよしで夜な夜な語られる伊良部の話を紹介していきます。

【んきゃーん(昔の)伊良部】
<シンビジ>
伊良部島一周道路は下地島の一周道路とあわせて、伊良部島観光のメインルートになっています。
橋が架かる前は佐良浜港にカーフェリーが着いたため、時計と反対周りに島を一周するのが観光の基本ルートになっていました。
しかしながら、サバウツガーから次の観光スポットのフナウサギバナタに向かう道路は木が茂り見通しがあまり良くありません。
昔、伊良部島一周道路の工事が終わった当時は松などの植物は背丈も小さく、ドライブしている間は美しいシンビジの海や池間島がずーっと見渡せたそうです。
かつてどこからでも望めた雄大な景色は、今ではガードレールが設置された木のない場所や最近有名になった三角点と呼ばれる絶景ポイントなど一部の場所からしか見る事ができません。
伊良部大橋が架かると観光ルートにも変化がおきて、行きかう車の数も減ってしまいました。
シンビジュ02 (1024x691)

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<禁断のサトウキビ>
ひとむかし前、サトウキビを収穫したトラックが走ると子供たちは後を追いかけたものでした。
荷台からサトウキビを引き抜くためです。
トラックに横に積まれたキビは抜きにくいですが、縦方向に積まれたサトウキビは引き抜きやすいので人気がありました。
そんな子供たちをサトウキビの主はバイクで追いかけてシバきます。
子供たちにとってキビを抜くのは鬼ごっご感覚で遊びの要素もあったようですが、禁断のサトウキビはたまらなく美味しかったそうです。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<運転>
むかし伊良部島では小学生の頃からバイクに乗って、中学生になると自動車を運転していたそうです。
当時の離島はある意味、治外法権で内地の決まりごとがそのまま通用しない時代でした。
駐在のおまわりさんも大目にみてくれる事もあったようです。
その頃の伊良部の子供たちは下地島空港の工事中の滑走路でバイクを飛ばし、自動車ではドリフトをやっていたそうです。
今はやんちゃを卒業して、若い頃から慣れ親しんだ車の運転技術を乗用車はもちろん、ダンプやトラクターなどの運転に活用しています。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<ランドレースとアグー豚>
伊良部島では以前、各家庭で豚、馬、ヤギ、鶏を飼っていました。
馬は今の軽トラやトラクターの替わり、ヤギは乳や食用、鶏は卵をとったり最後は廃鶏として貴重なタンパク源になりました。
豚は現金収入となり一家の稼ぎ頭です。
はじめはアグー豚という黒豚を飼っていましたが、そのうちアメリカからのランドレースという豚が主流となりました。ランドレースの方が大きく小さなアグーより高値で売れたからでそうです。
時代は巡って今はアグーがブランドになっています。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<魚垣>
下地島の滑走路沿いの道から魚垣(ナガキ又はカツ)が臨めます。
宮古島の史跡になっている潮の干満を利用した昔からの漁法です。
下地島空港の工事が行われる前は当然滑走路も無く、佐和田の浜から通り池方面に海岸線が続いていました。
その間の海岸線にも今の魚垣の他に何ヵ所か魚垣があったそうです。
それらの魚垣も1973年に空港工事が始まるまでは実際に稼動して漁を行っていたそうです。
魚垣 (1024x769)

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<乗瀬橋>
現在乗瀬橋は工事中ですが、今の伊良部橋が工事中で前の乗瀬橋が健在だったころ、学校が終わると乗瀬橋付近の入り江では学年や性別を超えてたくさんの子供たちが遊んでいました。
究極の遊びは橋から入り江へのジャンプです。
男の子も女の子も次々と何回も橋から飛び込みます。
都会では禁止されそうな光景ですが、伊良部の子供たちはワイルドに伸び伸びと育ちます。
乗瀬橋の工事が始まる頃と時を同じくして、スマホでゲームする子供をたくさん見かけるようになりました。
乗瀬橋 (1024x613)

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<タバコ事情>
昔から喫煙率の高い伊良部ではおじぃもおばぁもタバコを吸っていました。
90歳台になるまで日常的にタバコを吸っても健康に害を及ぼしたという話はあまり聞きません。
まるよしの近くで商店を営む豪傑おばぁはヤニで黄色く染まった両手の指にタバコを常に挟み、決して煙を切らさない究極のチェーンスモーカーでしたが長生きしたそうです。
この頃は物資の無い時代で薬を手に入れるのもままならず、お腹が痛い時はタバコを吸わせたそうです。
タバコが鎮痛剤になるかは医学的に証明されていないと思われますので、真似はしない方が良いと思います。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<昔の地名>
下地島には津波で打ち上げられた津波石があります。
伊良部の方言を文字で書くのは無理が有りますが、有名な帯岩は地元ではウプスクビジィと呼ばれていました。
大きな帯の石という意味だそうです。
いつの間にか標準語で帯岩と呼ばれ案内板が立てられています。
帯岩の近くにはチビタオルジィ(後ろに倒れている石)という津波石もあります。
カヤッフィャも中の島海岸の看板が立ち、第1ポイントや第2ポイント、更にゼロポイントや三角点まで出現しています。
今の呼び名で聞かれても解らない事が有りますので悪しからず。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<隠れビーチ>
下地島にはたくさんのビーチが有りますが、そのなかにオッパマというビーチがあります。
大きい浜(ウプパマ)という意味だと言われています。
昔の一周道路から入るビーチですが、ある時期その浜では酒や肴を持ち寄って夜の宴会が行われる事があったそうです。
静かな綺麗な夜の砂浜での飲み会はプライベート感たっぷりでした。
人目に付かないビーチなので怪しい飲み会も行われたと言うと噂も有りますが、定かではありません。
最近は行く人もほとんど無く、入り口も草木に覆われ砂浜には異国の漂流物が打ち上げられていますが、その分サンゴは荒らされずに手つかずの状態で生き残っています。
オッパマ (1024x630)

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<サイダー>
昔々伊良部では二日酔いになった時はサイダーを飲むと効くと言われたそうです。
コーラでも水でもありません、三ツ矢サイダーです。
効果の程は定かでありませんが、つい深酒して二日酔いで苦しむあなた、まるよしでオトーリ体験をして二日酔いになったあなたもワラにもすがる思いで試してみてください。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<タバコの話>
健康志向が広がる今でも喫煙率が比較的高い伊良部ですが、昔はもっと高かったようです。
妊娠してもタバコがやめられないSさんが医者に相談したところ「やめてストレスを感じるより減らした方が良い」と言われたとの事。
本人は医者からお墨付きをもらったと言って、それなりにタバコを吸っていました。
そのSさんも出産直後はさすがに病院内ではまずかろうと思ってベランダで隠れて吸っていたら、看護婦さんに見つかって「ここで吸いなさい」と病院内で一服したそうです。
恐るべし宮古の病院。ずっと昔の話です。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<カーフェリー>
伊良部大橋が架かる前、宮古島と伊良部島間の自動車の移動はカーフェリーでした。
出来るだけ多くの車を乗船させるため、ギリギリに詰め込んで船尾のハッチが閉まらない時もありました。
乗船するときはバックでいれます。
地元の人は慣れたもので船の係員の指示でてきぱきと乗船します。
乗り慣れない観光客はあたふたしてしまいます。
奥の自動販売機にぶつけたり、ミラーをこすったり色々大変でした。
運転に自信のない人は誘導する船員さんに頼めば代わりに運転してくれたものです。
橋が架かってその心配もなくなりましたが、なんだか淋しい気もします。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<ナイトライダー>
下地島空港には1980年11月から1994年7月まで那覇との定期便が就航していました。
その頃からかどうか定かで有りませんが、誘導灯ライトの点検のためにライトの点灯を行っていました。
夕闇にライトが走る光景が美しく一部でナイトライダーと呼ばれていました。
「ナイトライダーを見たカップルは幸せになれる」と言われていたとかで夜のドライブコースにもなっていました。
星空とホタルに加えて伊良部の三大光のページェントとして、まるよしも夜の見所と紹介していましたが、最近「光が走った」という話は耳にしません。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<ハマの名前>
伊良部の浜には昔からの呼び名があります。
下地島の浜にもそれぞれの呼び方があるそうです。
中の島ビーチもカヤッファ(カヤッフィャ)と呼ばれていました。
家の屋根を葺く茅がたくさんあったからだそうです。
そのほかアッタバサマ(遠い波)、ピサピシ(平らなリーフ)、カッフィ(隠れた浜)などがあるそうです。
まるよしがある国仲の集落の人はサトウキビの畑を抜けて潮干狩りなどに行きました。
同じ浜でも入る道によって呼び名が違っていたそうです。
下地島空港が出来るずっと前の話です。
カッフィ (1024x684)

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<牧山陣地壕>
牧山展望台のすぐ近くに牧山陣地壕があります。
戦争中に手彫りで掘られたトンネルです。
正式に指定はされていませんが、宮古島市の戦争遺跡になっています。
砲台を据え付ける予定で地元の住人を動員して掘られましたが結局使用されなかったそうです。
現在のような展望台もなく遊歩道などが整備されていない時代でも、佐良浜小学校の遠足で行っていたそうですが、中は真っ暗で怖かったそうです。
70mほどある壕は懐中電灯がないと入れません。
決して一人では行かないで下さい。
はじめは慎重に歩きますが、先端の明かりが見えると油断します。
海が見える壕の先端は一段登るようになっていて必ず天井に頭をぶつける人がいます。
ご注意ください。
牧山壕入り口 (1024x576)牧山壕トンネル (1024x576)牧山壕先端 (1024x576)

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<カタツムリ>
まるよしがある国仲ではカタツムリの事をパルンナと言います。
パルは畑(宮古ではパリ)で、ンナは貝のことだそうです。
同じ伊良部島の中でも地域によって呼び方が変わります。
伊良部、仲地ではツナミとも言うそうです。
ずっと昔、役場から「畑でツナミが異常発生している」とお知らせした時、観光客の方は大分ビビったという話がありますが、真偽のほどは定かでありません。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<船の話>
現在は伊良部大橋が架かり伊良部島から宮古島まで楽に行けるようになりましたが、それ以前は高速船とフェリーを利用していました。
しかしフェリーの本数が限られていため同じ時間帯の船に集中する事になり、船1台待ちは当たり前でした。
宮古へ行くのも一日仕事です。
またドック入りで本数が減ったり、天候の影響で欠航することも有り、計画どおりに宮古に渡れない事もありました。
更に前には高速船はなくもっと時間がかかったそうです。
当時は伊良部の人口も一万人を超え、高校も無かったため宮古島に通う学生もたくさんいました。
通学の船は満員で必ず何人か佐良浜港で海に落下したそうです。

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<津波石>
下地島の観光スポットに帯岩があります。
1771年の明和の大津波で打ち上げられた津波石と言われています。
帯岩だけが津波で打ち上げられたのはなぜ?と素朴な疑問があると思います。
実は巨大な津波石は下地島一帯そこらじゅうにゴロゴロしていたそうです。
ほとんどの津波石は砕かれて1973年から始まった下地島空港建設に利用されました。
現在残っている津波石は佐和田の浜の奇岩をはじめレーダー基地付近、ゴルフ場4番ホールなどで見られますし、下地島のサトウキビ畑の中にも隠れています。
帯岩 (1024x768)

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<サメの巣>
佐良浜の漁港付近がまだ今のように埋め立てられていなかった頃、子供たちは学校が終わるとウハルス橋や桟橋近くの海でよく遊んでいました。
大主神社近くにはカツオ工場があって解体されたカツオの頭などを海に投げていたため、サメが集まってきました。
サメの巣と呼ばれていた海で子供たちは平気で泳いでいたそうです。
恐るべし佐良浜の子供たち。
ちなみに現在「青の洞窟」と呼ばれているところの近くです。

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【んきゃーん(昔の)伊良部】
<自動車教習所(自練)>
以前、佐良浜Aコープの裏手に自動車教習所があったそうです。
伊良部の住人はそこで教習を受け宮古島に試験を受けに行きました。
教習所には駐車場があって、教習を受けに来る人は自家用車で通っていたそうです。ん?
今では橋も架かり宮古島から自動車教習所の送迎のクルマが来ています。

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