2002年4月に発売され宮古島で大ベストセラーになった「読めば宮古」。そんな話が伊良部にもたくさんあります。まるよしで夜な夜な語られる伊良部の話を紹介していきます。

【んなまぬ(今の)伊良部】
<下地島空港2020>
昨年3月に定期便が復活した下地島空港ですが、その歴史は古く着工は1972年(昭和47年)です。
建設開始については、軍事利用への懸念や「騒音で魚が逃げる」などの理由で反対もありましたが、経済的理由などで誘致が決定します。
まるよしの関係者も当時、空港の石拾いのバイトをしたり、広大な敷地でバイクを飛ばしたりと、空港建設は島の生活と密着していました。
そもそも下地島空港はパイロットの離着陸の訓練の為に建設されたものでした。
海外での訓練に費用が掛かるため、国内で訓練することが必要というのが設置の理由です。
1979年(昭和54年)に完成して、翌年には訓練の開始され、南西航空の定期便も那覇―下地島間に就航しました。
ところが、建設中に円安から円高に移行して国内での訓練の費用が高くなったり、利用客の減少により1994年(平成6年)に定期便が廃止になります。その後も経営難のJALの訓練撤退に続きANAも撤退して、更に空港は衰退していきます。
空港の利用が減ると、自衛隊の誘致などキナ臭い話も再燃しましたが、今回の定期便の復活で平和的な利用になったことは喜ばしいことです。
バブルと共に復活した定期便就航に合わせてターミナルビルも新築して、絶好調で前途洋々という感じでしたが、今度はコロナが襲います。
海外からの定期便増便も含めて事業拡大の計画が取りざたされていましたが、今は国内便も含めてすべて欠航となり完全休止状態です。
コロナ問題が収束しても、海外からの利用はすぐには戻るとは思えません。
これまでも下地島空港は島の生活に大きな影響を与え、内地資本の参入や撤退は島の生活を翻弄してきました。
コロナ襲来の前も、バブル崩壊後が心配がされていましたが、これからどうなっていくのでしょうか。
以前ように空港が衰退しないように願うと同時に今はコロナが早く収束して、元の生活に戻ることが最大の願いです。
タッチアンドゴー


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